不妊症を自覚したときのおはなし
わたしは24歳で5歳年上の夫と結婚し、勤めていた職場もやめて新居の近くで仕事を探しました。
キッズアパレルの販売員。
扶養範囲内の雇用でしたが、子どもも考えていたのでそれでよいと思っていました。
1年は働くことが条件だったので新婚1年目は夫婦二人の時間を過ごしましたが、
2年目が過ぎても子どもを授かることはありませんでした。
その間に職場で欠員が出たためフルタイムで働くことになり、社会保険に加入。
結婚当初から将来を考えると社会保険に加入していた方が良いなと考えていたので良かった点でした。
これで子どもを授かっても、育児休業給付金がでるので少しはお金の心配が減ると思っていました。
でも肝心の子どもはなかなか授かることができませんでした。
勇気を出していった不妊症外来のある産婦人科は、先生が流れ作業のような対応で
看護師さんは後ろの棚にもたれかかりながらこちらを見ていて冷たく感じました。
「妊娠希望していて1年間できない場合は不妊です」とそのようなニュアンスのことを先生が仰られた瞬間、何かの糸が切れてしまったかのように急に悲しくなりました。
検査しなくても不妊は不妊なんだと。
当たり前のようで、自分にとっては受け止めたくない事実をあっさり告げられてしまって愕然としました。
特別、看護師さんや先生が冷たかったわけではないと思います。
わたしがナイーブになっていたからそう感じた部分もあると思います。
ただ、気持ちが張り詰めていたわたしにとっては耐え難い空気感でした。
今後の不妊検査の日程を決める段階で「一度持ち帰らせてください」と言って診察室をあとにし、
支払いを済ませて玄関を出ると、なんだか涙が止まりませんでした。
自分は不妊の検査すらまともに受けられない。
情けなくて、悔しくて、ひとり駐車場で年甲斐もなく泣いてしまいました。
妊娠を考える前に確認しておけばよかったと思ったこと
しばらくして、母と話していると風疹ワクチンの話になりました。
母が持っていた私の母子手帳を確認すると、わたしは一度しか打ったことがありませんでした。
妊婦さんがかかると良くないと聞いたことがあったので、かかりつけの病院で抗体検査をしてもらうと
可もなく不可もない数値だと説明がありました。すぐにワクチン接種をおねがいして数日後接種。
生ワクチンの為2カ月は妊娠してはいけないという説明を受けました。
妊娠を焦っていたわたしにとって2ヶ月妊活をお休みすることは複雑でしたが
いざ過ごしてみると妊活から解放されたわたしは自分でも驚くほどストレスなく生活できていました。
このあと、水疱瘡の抗体もないことが分かり、接種。
水疱瘡に関しては心配しすぎなくてよいという説明を受けましたが、心配性の私は接種を希望。
結局、通算4カ月妊活をお休みしました。
1年間夫婦2人の生活を…と言っている間に受けておけばよかったと思う半面、ワクチンのおかげでどうあがいてもできないという期間があり、排卵日と生理に振り回されなくてよいことがどれだけストレスフリーなのかを思い出せる良き時間となりました。いくら頭では考えすぎないほうが良いとわかっていても実際にはそのことで頭がいっぱいだったのだと思います。
不妊期間に転職を考えていたおはなし
わたしたち夫婦は結婚2年目に住んでいたところから車で1時間ほどのところへ引っ越しをしました。
当然、職場も遠くなるので退職の意向を上司にお伝えしましたが、ありがたいことに交通費は全額負担するという条件で引き留めてくださいました。
夫とも相談し、慣れたところの方が良いという結論に至り電車で通うことに。
もともとは妊娠できるまでの職場と考えていましたが、育休が取れるならこのまま働かせてもらいたいと考えていました。
でも、子どもは授からない。職場も遠いしずっとこのまま働いていられるのか?
それなら今のうちに家から近い場所に転職を…でも転職してすぐ授かったら育児休業給付金はもらえない。
いつ授かるかわからないのにどうしたら…という考えもずっと頭から離れませんでした。
授からない期間のわたしは“授からないなら授からない。授かるならいつ授かると誰か教えてよ”とずっと思っていました。
そんなこと不可能なのは分かっていましたが、終わりの見えないトンネルをずーっと歩いている気分でした。
勇気を出してレディースクリニックを受診したおはなし
ひとつめの産婦人科を受診してからはしばらくどこにも受診していませんでしたが、
良い先生ばかりのクリニックがあると教えてもらったのでそこを受診することに。
お話とおりの良い先生でわたしに寄り添って話をすすめてくださり、検査をお願いしました。
初診時は、話を聞いてもらって検査の予約を取るだけでした。
次の診察で採血による
- 抗ミュラー管ホルモン
- 抗精子抗体
- 風疹抗体
- クラミジア・淋菌検査
を行い、5日後くらいに結果が出ました。
次に生理中ホルモン検査。
生理二日目から四日目に行う検査で、生理が始まってから予約を取りました。
- 卵胞ホルモン
- 黄体化ホルモン
- 卵胞刺激ホルモン
- プロラクチン
が検査項目で、これも採血での検査でした。
以上の検査では妊娠に直接影響のある問題は見つかりませんでしたが、年齢にしては低い数値のものがあり、
歳の差のあるお子様は難しいかもしれないという説明を受けました。
先生は大変気を使って言葉を選んでくださいましたが、単純にタイムリミットが近いということだと認識しました。
次の検査は
- 子宮卵管造影検査
こちらの検査は紹介状を書いてもらって大きな病院での検査でした。
生理が始まってから予約の電話をして、生理の出血少量~排卵までの期間に行う検査。
説明には“ご自身で車、バイクなど運転して来院しないでください”
“当日ご主人様またはご家族の方に緊急に連絡を取ることがありますので、ご主人様またはご家族の方に必ず連絡が取れるようにしてください”と書いてあったので、とても怖い検査なのかなとドキドキしていました。
診察室に入り説明を受けると検査の準備が行われ、痛い思いもしました。
レントゲン室へは車いすで移動。その後の造影検査自体はちょっとした違和感だけで終わりました。
この後造影剤を洗浄してもらい、食事・飲水ができたので軽く食べました。
そして一時間後に腹部のレントゲン検査を行い、診察室で説明を受けて終了。
11:30来院で、終了は15:00。
慣れないことばかりでとても疲れたのを覚えています。
最後にもう一つ
- 夫の精液検査
これは採取してから3時間以内に卵管造影をしてもらった病院へもっていかなければいけませんでしたが、
こちらの病院が家から遠く、なかなか夫の仕事の都合でできず先延ばしにしていました。
しびれを切らせて色々調べたところ近くの泌尿器科でしていただけるとのことだったので、旦那に直接行ってもらいました。
結果は問題ないとのこと。
わたしたち夫婦の不妊の原因は以上の検査ではみつからなかったのです。
検査内容等は、その時のわたしの記憶をたどって綴っていますので正確性はありません。その病院によっても内容は変わると思います。検査を受けようか迷っている方に“こんな感じなんだ”と知ってもらえたら幸いです。ただ、できれば卵管造影検査はご主人についてきてもらうことを個人的にはお勧めします。先生から卵管造影後の説明でゴールデンタイムのおはなしを聞いて大変な期待をしてしまいましたが、簡単にはいきませんでした。娘を授かることができたのは、検査から1年が経った頃でした。
検査後に感じたこと
正直なところ、理由が分からないことが一番苦痛でした。
もちろん、健康なことはありがたいことでしたが、検査すれば何か方法は見つかると思っていました。
でも実際は検査後も終わりの見えないトンネルから抜け出す方法はわからないまま。
けど不妊治療に進む勇気もありませんでした。
お金の心配はもちろんでしたが、これまでの授からなかったときに落ち込む自分を見てきて
不妊治療にステップアップしてもできなかったとき、自分はどうなってしまうのだろうと怖かったからです。
妊娠妊娠と頭がそればっかりの自分をまず変える必要があると考えていました。
音楽に救われたおはなし
ありきたりできれいごとに聞こえるかもしれませんが、わたしの人生のなかでは劇的になにかが変わった瞬間でした。
元々音楽は好きでしたが、特に決まって好きなジャンルや応援しているアーティストがいたわけではありませんでした。
でも不妊で悩んでいたある日、ネットニュースで見たある海外アーティスト。
何気なく読んだそのニュースの内容は覚えていませんが、このアーティストの音楽が単純に気になって調べました。
最初は“こういう音楽もあるのだな”というくらいでしたが、
不思議と次の日も聴きたくなるような曲で、ほかの曲も聴くようになりました。
外国語だったので日本語訳を調べると、悩んでいる人に寄り添ってくれるような曲が数多くありました。
この時の自分にかけてあげたい言葉や自分の気持ちにリンクする部分があり、いつの間にかわたしはこのアーティストの曲ばかりを聴くように。
どうしても生歌を聴きたくなって人生で初のライブにもひとりで行き、楽しみができたことで妊娠妊娠とそれだけでいっぱいだったわたしに少し変化がありました。
妊活以外のことを考えることができたのことが一番の変化でしたが、精神的にも安定しているのが自分でもよくわかりました。
音楽には不思議な力があるのだと、改めて感じた時期だったと思います。
小さなことかもしれませんが、これが20代で一番の気づきでした。
この投稿をみて話が逸れているように感じた方もいらっしゃるかもしれませんが、わたしはこの出来事のおかげで“もし仮に一生授かることができなくても夫とふたりで楽しみを見つけて生きていくのも悪くないな”と思えるようになり、そう思えた矢先に娘を授かることができました。たまたまかもしれませんが、わたしにはこの余裕が必要だったのかなと考えています。
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