娘が生きた23日間~生後すぐ今晩が山と言われた娘のおはなし~①

娘は緊急帝王切開で生まれました。

生まれるまでの詳しい過程はこちらをご覧ください。

34週までなにも問題なかった娘が染色体異常の可能性を疑われるまで (mametsumugi.com)

ただただ、娘の23日間を振り返っているだけの内容になっております。

娘にしてあげられたこと、できなかったこと、そのとき感じたことなどを綴っております。

誰かの役に立つかはわかりませんが、温かい目で読みすすめていただけますと幸いです。

目次

生まれた日

娘が生まれたのは2020年9月1日午後3時2分。

わたしは生まれてすぐの娘の顔を見ていません。

全身麻酔だったので、目が覚めたら娘はそこにいませんでした。

その日の夜、小児科の先生が病室にやってきて娘は今晩が山だと。

「生きていてくれたら明日脳出血の手術をするからその前に顔を見てあげて」と言われ、

夜中にストレッチャーでNICUに行って娘と対面。

1240gで生まれた娘はとってもちっちゃくて、かわいかったです。

2日目

娘は奇跡的に朝を迎えることができました。

昼食を持ってきてくれた看護師さんに「13時から先生よりおはなしがあります」と言われて夫に連絡。

コロナ禍で面会は禁止されていましたが、夫はすぐに動けるように休みを取ってくれていました。

昼食は食べられるはずもなく、わたしにできることは13時まで時間が経つのを待つことだけ。

個室に案内されると脳神経外科の先生と小児科の先生がいました。

脳出血の手術を早急に行わなければいけないという内容で、考えている時間はないとのこと。

”手術をしないという選択もあります”と看取りの提案もされました。

それは先生が冷たいとかではなく現実問題のはなしで、成功しない確率も大いにあるということ。

それならあえて傷を残すようなことをせずに…という選択もあるということ。

産後すぐ、こんな残酷な話をされることが現実にあるのかと思いました。

少しだけ二人の時間をいただきましたが、わたしたち夫婦の考えはただひとつ。

すぐに同意書にサインをすると、その二人の先生は手術の準備に向けて部屋を後にしました。

ほぼ放心状態の私たち夫婦に優しく声をかけてくださったのは、小児科医のT先生。

わたしたちが泣く前に先生の方が「ほんとうによく頑張ってくれています」と涙ながらにお話してくださり、

“わたしたちの娘は本当にすごいんだな”と手術をお願いしたことは間違いではなかったと思いました。

手術直前、娘に少しだけ会いに行き「がんばろうね」と声をかける以外になにもできませんでした。

手術は奇跡的に成功。先生方には感謝しかありません。

部屋を用意してもらい21時まで夫といられることに。その時間に娘の名前を決めました。

3日目

大部屋にいた私は、希望の個室があいたので個室に移動。

そのあとすぐ、コロナ禍で面会禁止のなか旦那の付き添い入院の提案をされました。

特別扱いが苦手なわたしは最初はお断りしましたが、看護師さんの説得で夫を呼ぶことに。

考えてみれば、はじめから病院側は娘が長くないことを前提にわたしたちに対応してくれていました。

わたしはこの時“いつか娘をおうちに連れて帰ってみんなに会ってもらうんだ”と、ずっとそう思っていました。

だから付き添い入院なんてしなくたって大丈夫だと考えていたのです。

でもこの時看護師さんの提案をお断りしなくて本当によかったです。

夫と一緒にNICUにいる娘に会いに行くこともでき、初抱っこ。

娘はたくさんのチューブにつながれていたため看護師さんや先生の5人がかりでの抱っこでしたが、とっても幸せでした。

4日目

この日は看護師さんのご厚意で娘の手形を取ることに。

手をぎゅっとしている娘の手形を取るのはとっても難しかったですが、看護師さんのご協力で何とかとることができました。

このような時間をつくってくださり、本当に感謝しております。

5日目

この日は娘の脳出血が再発してしまいました。

もう手術はできないので、輸血等で対応するとのこと。

面会に行くと、娘は目を開けてくれていて目が合っているような気も…

もぞもぞと動いてみたり、まばたきしたり、すこし微笑んでいるような表情もしてくれました。

心配そうに見つめるわたしに娘が“わたしは大丈夫だよ”と言っているようで、心強かったです。

6日目

娘の状態があまりよくないというお話を聞いて動揺。

次の日にはわたしの退院が決まっていたので、娘と同じ場所にいられない不安感に押しつぶされそうになりました。

そんなときでも娘はいつもと変わらず、ドンと構えていて両目をあけてしっかりと生きてくれていました。

7日目

わたしは血圧が高い以外に異常はなかったため、あっさり退院。

娘と離れるのはさみしかったですが、病院近くにあるゲストハウスに1週間入居することに。

退院前に娘に会いに行くと、看護師さんからおしっこが出たと聞いて夫婦で喜びました。

おしっこが出ただけで夫婦で喜べるなんて…小さな幸せに気づかせてくれた娘には感謝です。

8日目

脳の出血が止まり、おしっこもでて、動いていなかった腸が動き始めたとのこと。

0.5㎖の母乳も口にすることができたと聞き、とてもうれしかったのを覚えています。

夫は娘にパワーを送ると言って両手を広げて念を送っていました。

9日目

この日も娘はおしっこがたくさん出て、むくみが取れてきていました。

希望の光が差したように感じて、このまま良くなってくれると信じていました。

10日目

この日、はじめて娘の泣き顔を見ました。

声は出ていなかったものの、はじめて泣き顔を見られたのが本当にうれしくて

ゲストハウスに帰ってからも夫婦二人で「泣くことができるんだね、感動したね」とはなしました。

11日目

この日は術後の抜糸はしてもらったようで「とっても嫌がっていました」と看護師さんが教えてくれました。

「目力がすごくて目で訴えるんですよ~」と楽しそうにお話してくださるのをみて、

とてもいい方々に恵まれたなと感じました。

この日はもうひとつ、先生からお話がありました。

生まれてすぐにしてもらった染色体異常の結果

娘は13トリソミーでした。

あまり考えたくなくて詳しく調べることはしていませんでしたが、ある程度覚悟はしていました。

そのうえで、娘はそれでも長く生きるんだと信じていました。

でも、面と向かって長く生きて1歳だと言われると悔しくて悔しくて、涙が出ました。

この日はわたしの母と父が娘に会う日だったので、直接娘の検査結果を報告。

父も母もわたしの話を静かに聞いてくれて、受け止めてくれました。

わたしの気持ちを尊重してくれて、支えてくれて感謝しかありません。

病院に任せっぱなしでなにもできない自分にも苛立ち、娘を連れて帰りたい気持ちだけが先走り、

今までにないほど感情が入り乱れました。

それでも娘は生きるのだという気持ちに変わりはありませんでした。

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